会長ごあいさつ

一般社団法人 布施医師会会長

松山 浩吉

会長ごあいさつ

 布施医師会ホームページにご訪問いただきありがとうございます。
昨年、ラグビーワールドカップ2019日本大会を花園ラグビー場で4試合も開催でき、大変喜ばしく思っております。

 布施医師会は社団法人として昭和22年に発足し、令和2年6月現在、A会員231人、B会員113人、C会員2人の会員346人を有します。

 平成24年4月1日には公益法人改革により一般社団法人に移行し、平成25年7月に完成した新会館は開かれた医師会を目差し、利便性向上の為に駐車場を拡充し、館内はバリアフリー・身障者用トイレ等高齢化にも対応しております。

 さて、2019年も台風による災害で社会生活に甚大なる影響が現れ、2020年の新型コロナ感染症により「東京2020オリンピック・パラリンピック」が2021年に延期、緊急事態宣言が発令、パンデミックが全世界的に広がり、大規模イベント・医療・経済・教育・社会生活がストップし、見慣れた景色が一変しました。

 地域医療は新型コロナ感染症により遮断、在宅医療・介護・緩和ケアに関わる多くの患者様や医療従事者を疲弊させ、有事になって初めて、平時の医療の大切さを思い知らされました。5月より東大阪市と東大阪市三医師会が一致協力して、新型コロナウイルスPCRドライブスルー検査体制が出来、医師会を上げて新型コロナ感染症に立ち向かってゆく覚悟です。

 この様に東大阪市三医師会が協力して、地域市民の安全安心の為に、平成30年4月より東大阪市より委託をうけて、在宅医療・介護連携推進事業の運営も行っております。医師会が中核となり在宅医療推進のための多職種連携研修会・在宅医療コーディネータ事業・認知症・緩和ケア人材育成事業等に取り組み、東大阪市と協力して地域包括システムを推進中です。

 この他にも、医師会は東大阪市の保健、医療、福祉の為に、市民健診・特定健診・乳幼児健診・予防接種・がん検診・休日急病診療所・学校保健・東大阪准看護学院運営・産業医・公害医療・東大阪市公衆衛生協力など多くの市民の為の事業をおこなっております。

 特に我々医師会は学術団体ですので、月一回は最新の医学を学ぶ為に、会員の為の学術講演会、更に適正かつ効率的な保険診療を行う為に9月には医療保険講習会も行っております。 この様に医師会は多くの事業を行い、東大阪市・東大阪三医師会・歯科医師会・薬剤師会と共に一致団結してこの東大阪地域市民の健康と福祉の為に、これまで以上にまい進してゆく覚悟でございますので、今後ともご協力ご支援をお願い申し上げます。

松山 浩吉

布施医師会の組織

令和2年度 布施医師会役員

会長 松山 浩吉
副会長 柏井 朗 露口 隆一 平松 久典 横山 隆
理事 朝隈 豊 安藤 正憲 大草 直樹 岡村 義之
金子 康司 川口 俊 川邉 正和 白山 英三
城野 修一 龍野 光蔵 田仲 みすず 田路 秀明
二永 英男 丸山 貴資 水岡 寛 安田 慶明
山本 千加子
監事 熨斗 有 森 政雄

役員業務分掌

会長 松 山 浩 吉
副会長 横 山 隆
総務
所管 主担当 副担当1 副担当2
庶務 山本 千加子 川口 俊 安田 慶明
会計・税務 川口 俊 山本 千加子 朝隈 豊
広報 城野 修一 二永 英男 大草 直樹
雑誌 大草 直樹 岡村 義之 龍野 光蔵
厚生 岡村 義之 田路 秀明 水岡 寛
副会長 柏 井 朗
地域包括ケア
所管 主担当 副担当1 副担当2
在宅医療・介護保健
障害福祉
白山 英三 城野 修一 安藤 正憲
認知症 田仲 みすず 水岡 寛 安藤 正憲
緩和ケア 川邉 正和 白山 英三 二永 英男
病病連携 丸山 貴資 二永 英男  
病診連携 田仲 みすず 川邉 正和 水岡 寛
副会長 露 口 隆 一
学術・保険
所管 主担当 副担当1 副担当2
学術 田路 秀明 安田 慶明 大草 直樹
医療保険 龍野 光蔵 田路 秀明 川邉 正和
医療情報・安全 安田 慶明 岡村 義之 二永 英男
男女共同参画 二永 英男 安藤 正憲 田仲 みすず
産業医・スポーツ医 金子 康司 龍野 光蔵 朝隈 豊
I C T 城野 修一 白山 英三 金子 康司
副会長 平 松 久 典
事業
所管 主担当 副担当1 副担当2
看護学院 金子 康司 山本 千加子 丸山 貴資
学校医 朝隈 豊 川口 俊 大草 直樹
救急医療 水岡 寛 龍野 光蔵 安田 慶明
勤務医 丸山 貴資 二永 英男  
保健公衆衛生・公害 安藤 正憲 岡村 義之 朝隈 豊
会長 松 山 浩 吉
会長直轄
所管 主担当 副担当1 副担当2
新型コロナ対策 川口 俊 白山 英三
山本 千加子
川邉 正和
田路 秀明

貸借対照表(PDF)

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「布施医師会設立50年史」ご紹介

社団法人布施医師会設立50年史の発刊にあたって

社団法人布施医師会が社団法人設立50年を迎え、之を記念するため50年史を発刊することとなりました。私達布施医師会員にとって、大きな慶びである事は云うまでもありません。


布施医師会設立50年史
1114項(目次等除)

社団法人布施医師会の今日の基礎を築かれた先輩の先生方のご苦労は、並大抵なも のでなかったことは容易に察することができます。
社団法人布施医師会が発足した当時は、焦土と化した敗戦後の混沌と荒廃の中から、やっと立ち直って、再起を期する国民の努力の効果が段々と明るい兆しを見せはじめた頃であったと思います。その後、年を追って世の中のあらゆる機構が、その発展と充実を目指して、必死になって頑張って参りました。その結果、各方面に於ては驚異的な進歩と発展がなされた。
我々医療の領域に於ても、全く同様の辛苦に満ちた過程を辿って参りましたが、我が国の全医師会の団結と研究により、今日の医療水準、ひいては世界一の長寿社会に至る迄、医療のレベルを向上せしめた事は多言を要しません。而し反面、どんどん伸展する長寿社会、少子化、女性の就労に加え、低経済成長という構造的変化は、21世紀に向かって大きな社会問題となりつつあり、また、何等かの医療制度の改革が迫られています。
このような状況下で、過去半世紀を振り返りながら歴代の会長先生、役員の先生、会員の先生並びにあらゆる資料を通じて知り得た情報を50年史に纏めて、之を21世紀に向けての重要な資料として遣し、私達は社団法人布施医師会のあり方に思いを馳せながら、未来に向けて、これから果たさなければならない医師会、並びに、開業医の進むべき道、そして、地域社会での我々の使命と責任について考え直す機会となります事を願っております。今後共、会員の一層の団結、融和と会員相互の信頼関係を深め、そして、医師会発展のための冊子となれば幸甚であります。
稿を終わるに当って、50年史発刊のため、精力的に御協力下さいました委員の先生に厚く御礼申し上げます。

平成9年1月5日記
布施医師会 16代会長(平成6年4月1日~平成9年1月31日)
中辻 清重

「布施医師会設立50年史(あいさつ)」より 抜粋

(社)布施(市)医師会事務局の変遷(50年史より)


平成10年4月23日撮影の医師会館玄関

布施(市)医師会は、中河内郡医師会と称し、会長は八尾の辰巳先生、副会長には布施の浅井興吉先生が就任していた。昭和12年4月、布施市誕生とともに、大阪府医師会布施支部と称する医師会が設立され、初代会長に浅井興吉先生が就任した。戦後、 占領軍司令部から諸団体に出された解散命令は医師 会も例外ではなく、大阪府医師会が草案の第3次改正を経て新時代にふさわしい新制大阪府医師会に生まれ変わったのを機に、郡市区医師会も法的に同格の社団法人としてスタートする。布施市医師会もこの流れの中で法人格をもった「社団法人布施市医師会」として昭和22年11月1日の設立で、昭和23年1月21日に登記され、この時から50年の力強い一歩を踏み出すことになった。

といっても戦後の混沌とした状態は、目ざましい経済復興を遂げる中にあっても昭和30年代まで尾を引き、わが布施市医師会も昭和36年、医師会館が建設されるまでは、事務所を別表のように安田医院、或は、駒井医院の一室を借り、総会は布施労働会館、理事会は料亭松園等で行うというタコの足的運営がつづいていた。昭和20年代は100人台を推移していた会員数も昭和32年に200人を超え、自前の医師会館建設は時代の要請でもあった。

その話が現実的に浮上したのは、西浦勇5代会長、駒井副会長の時代であり、会館の必要性は分かっても会館を建設するだけの資金を当時の医師会はもっておらず、集める目途もなかった。何よりも土地問題を解決しなければならず、西浦会長、駒井副会長をはじめ寺戸先生ら当時の理事が夜ごと集まって準備と青写真について話し合ったとが残っている。いう話
では、その用地をどうやって確保するのか。井上次郎先生は布施医師会40周年記念特集号(1988.第 50号)で次のように述べている。「幸い松井先生 (第7代会長)が、宝持に空き地を相当持っておら れたので、この土地を拝借できないかということになった。松井先生は事情をご理解しておられたが、奥様の反対があり、これとて容易ではなかった。然 し、松井先生のご説得で奥様も納得され、会館用地 と駐車場の目途は何とか立った。次は建設資金である。当時の金で約工費400万円と見ても医師会にそ んな金はない。理事会で色々話し合い、結局、1診療所当たり3万5,000円の拠出をお願いし、無利息で10年間借り、以降返済するということになった。 然し、これより他に方法がないのだから仕方がない。


昭和36年3月12日
布施市上小阪638に社団法人布施医師会館完成

当然、総会で反対意見もあったが、「反対意見は覚えていない」と。 次に工務店である。西浦会長知り合いの工務店に話を持ち込み、社長を理事会に招いてすったもんだの末、値切り倒して説得した。これが“大誤算"だったという。 井上先生は「我々の考えはまことに甘く、後々までに大変な迷惑をかけることになった。大会議室には80人も入れば十分と考えて設計したが、会員数が増えるとともに、それが現実にそぐわないことが徐々に分かってきた。これは当時の役員の責任であることは十分理解している」と語っている。


昭和36年、落成式当日の講堂内スナップ
(式典あいさつは、西浦 勇 5代会長)

それでも昭和36年3月12日に完成記念パーティーを開くことができ、「屋根が落ちそうだ」という “不評"をかこちながらも耐用年数の30年はとっくに過ぎ、40年に手が届くところにきている。その間、理事会や総会、講演会、同好会等、その時々の会合、催しが開かれ、それなりにお役に立ってきたことも忘れてはならない。この医師会活動を縁の下で支えてきた歴代事務局員のご苦労も多とするところである。

布施医師会 所在地

住所
〒577-0805
東大阪市宝持2丁目15番17号
電話番号
06-6721-1919
FAX番号
06-6721-5838