ようこそ布施医師会のホームページにお越しくださいました。
布施医師会会長の平松久典でございます。
布施医師会は約350人の会員が集い、定款に掲げた「医道の高揚、医学及び医術の発達並びに公衆衛生の向上を図り、もって社会福祉を増進すること」を目的とし事業を行っております。
特にここ三年間は新型コロナウィルス感染症で保健所業務の一翼を担い感染された方の医療機関紹介や発熱外来の紹介も行ってきました。
その他通常の事業は多岐にわたり、特定健診や後期高齢者健康診査、各種がん検診と乳幼児や妊婦健診、および予防接種等の円滑な実施と受診率向上に向けた取り組みを東大阪市と協働して取り組んでいます。また、学校医や園医の選出を行い、学校検診の実施を学校側と協働して行い、発熱外来、学校保健、産業医、各種健診、休日急病診療所への出務、予防接種、災害発生に備えた医療体制確保への準備、検案、地域包括ケアシステム運用に関し介護、在宅医療への参加等々多くの業務を行っております。また、会員向けに定期的に講習会や講演会を開催して、専門知識の習得に取り組み日々研鑽に努めております。
布施医師会は、枚岡医師会、河内医師会と協力し東大阪市民の皆さまの健康増進に貢献できるよう啓蒙活動やイベント開催に協力、東大阪市全体の健康増進にも努めております。
一方、今後ますます進む高齢化社会に備えて、在宅医療や介護の充実を図るため多職種連携が重要で地域包括ケアの推進も重要な課題と位置づけております。これからも東大阪市の地域医療を支え、市民の皆様が安心して暮らせる街東大阪を目指す所存でございます。どうぞよろしくご支援のほどお願い致します。
会長 | 平松 久典 | |||
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副会長 | 川口 俊 | 露口 隆一 | 田路 秀明 | 山本 千加子 |
理事 | 朝隈 豊 | 安藤 正憲 | 大熊 浩 | 大山 哲 |
岡村 義之 | 小川 耕司 | 金子 康司 | 川邉 正和 | |
小杉 真一 | 徳原 靖剛 | 根川 常夫 | 松本 仁 | |
丸山 貴資 | 宮後 直樹 | 安田 慶明 | 山村 匡 | |
山本 年済 | ||||
監事 | 柏井 朗 | 松山 浩吉 |
部門Ⅰ | |||
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所管 | 主担当 | 副担当1 | 副担当2 |
庶務 | 安田 慶明 | 川邉 正和 | 朝隈 豊 |
雑誌 | 山村 匡 | 岡村 義之 | 金子 康司 |
厚生 | 岡村 義之 | 大熊 浩 | 大山 哲 |
診診連携 | 小杉 真一 | 山村 匡 | 小川 耕司 |
U-45 | 小川 耕司 | 山村 匡 | 小杉 真一 |
部門Ⅱ | |||
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所管 | 主担当 | 副担当1 | 副担当2 |
認知症 | 宮後 直樹 | 安藤 正憲 | 根川 常夫 |
在宅医療・緩和ケア | 川邉 正和 | 大熊 浩 | 松本 仁 |
多職種連携 | 安藤 正憲 | 小杉 真一 | 小川 耕司 |
病病連携・勤務医 | 丸山 貴資 | 岡村 義之 | 根川 常夫 |
病診連携 | 松本 仁 | 丸山 貴資 | 宮後 直樹 |
危機管理 | 朝隈 豊 | 川邉 正和 | 丸山 貴資 |
部門Ⅲ | |||
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所管 | 主担当 | 副担当1 | 副担当2 |
医療保険・介護保険 | 安田 慶明 | 安藤 正憲 | 金子 康司 |
救急医療 | 根川 常夫 | 安藤 正憲 | 山本 年済 |
保健公衆衛生・公害 | 安藤 正憲 | 朝隈 豊 | 山本 年済 |
産業医・スポーツ医 | 大熊 浩 | 金子 康司 | 徳原 靖剛 |
学校医 | 朝隈 豊 | 小杉 真一 | 大山 哲 |
部門Ⅳ | |||
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所管 | 主担当 | 副担当1 | 副担当2 |
会計・税務 | 金子 康司 | 朝隈 豊 | 安田 慶明 |
広報 | 徳原 靖剛 | 金子 康司 | 松本 仁 |
学術 | 山本 年済 | 安田 慶明 | 徳原 靖剛 |
男女共同参画 | 大山 哲 | 丸山 貴資 | 宮後 直樹 |
医療情報・ICT | 川邉 正和 | 安田 慶明 | 山村 匡 |
社団法人布施医師会が社団法人設立50年を迎え、之を記念するため50年史を発刊することとなりました。私達布施医師会員にとって、大きな慶びである事は云うまでもありません。
布施医師会設立50年史
1114項(目次等除)
社団法人布施医師会の今日の基礎を築かれた先輩の先生方のご苦労は、並大抵なものでなかったことは容易に察することができます。
社団法人布施医師会が発足した当時は、焦土と化した敗戦後の混沌と荒廃の中から、やっと立ち直って、再起を期する国民の努力の効果が段々と明るい兆しを見せはじめた頃であったと思います。その後、年を追って世の中のあらゆる機構が、その発展と充実を目指して、必死になって頑張って参りました。その結果、各方面に於ては驚異的な進歩と発展がなされました。
我々医療の領域に於ても、全く同様の辛苦に満ちた過程を辿って参りましたが、我が国の全医師会の団結と研究により、今日の医療水準、ひいては世界一の長寿社会に至る迄、医療のレベルを向上せしめた事は多言を要しません。而し反面、どんどん伸展する長寿社会、少子化、女性の就労に加え、低経済成長という構造的変化は、21世紀に向かって大きな社会問題となりつつあり、また、何等かの医療制度の改革が迫られています。
このような状況下で、過去半世紀を振り返りながら歴代の会長先生、役員の先生、会員の先生並びにあらゆる資料を通じて知り得た情報を50年史に纏めて、之を21世紀に向けての重要な資料として遣し、私達は社団法人布施医師会のあり方に思いを馳せながら、未来に向けて、これから果たさなければならない医師会、並びに、開業医の進むべき道、そして、地域社会での我々の使命と責任について考え直す機会となります事を願っております。今後共、会員の一層の団結、融和と会員相互の信頼関係を深め、そして、医師会発展のための冊子となれば幸甚であります。
稿を終わるに当って、50年史発刊のため、精力的に御協力下さいました委員の先生に厚く御礼申し上げます。
平成9年1月5日記
布施医師会 16代会長(平成6年4月1日~平成9年1月31日)
中辻 清重
「布施医師会設立50年史(あいさつ)」より 抜粋
平成10年4月23日撮影の医師会館玄関
布施(市)医師会は、中河内郡医師会と称し、会長は八尾の辰巳先生、副会長には布施の浅井興吉先生が就任していた。昭和12年4月、布施市誕生とともに、大阪府医師会布施支部と称する医師会が設立され、初代会長に浅井興吉先生が就任した。戦後、占領軍司令部から諸団体に出された解散命令は医師 会も例外ではなく、大阪府医師会が草案の第3次改正を経て新時代にふさわしい新制大阪府医師会に生まれ変わったのを機に、郡市区医師会も法的に同格の社団法人としてスタートする。布施市医師会もこの流れの中で法人格をもった「社団法人布施市医師会」として昭和22年11月1日の設立で、昭和23年1月21日に登記され、この時から50年の力強い一歩を踏み出すことになった。
といっても戦後の混沌とした状態は、目ざましい経済復興を遂げる中にあっても昭和30年代まで尾を引き、わが布施市医師会も昭和36年、医師会館が建設されるまでは、事務所を別表のように安田医院、或は、駒井医院の一室を借り、総会は布施労働会館、理事会は料亭松園等で行うというタコの足的運営がつづいていた。昭和20年代は100人台を推移していた会員数も昭和32年に200人を超え、自前の医師会館建設は時代の要請でもあった。
その話が現実的に浮上したのは、西浦勇5代会長、駒井副会長の時代であり、会館の必要性は分かっても会館を建設するだけの資金を当時の医師会はもっておらず、集める目途もなかった。何よりも土地問題を解決しなければならず、西浦会長、駒井副会長をはじめ寺戸先生ら当時の理事が夜ごと集まって準備と青写真について話し合ったとが残っている。
では、その用地をどうやって確保するのか。井上次郎先生は布施医師会40周年記念特集号(1988.第 50号)で次のように述べている。「幸い松井先生 (第7代会長)が、宝持に空き地を相当持っておられたので、この土地を拝借できないかということになった。松井先生は事情をご理解しておられたが、奥様の反対があり、これとて容易ではなかった。然し、松井先生のご説得で奥様も納得され、会館用地 と駐車場の目途は何とか立った。次は建設資金である。当時の金で約工費400万円と見ても医師会にそんな金はない。理事会で色々話し合い、結局、1診療所当たり3万5,000円の拠出をお願いし、無利息で10年間借り、以降返済するということになった。 然し、これより他に方法がないのだから仕方がない。
昭和36年3月12日
布施市上小阪638に社団法人布施医師会館完成
当然、総会で反対意見もあったが、「反対意見は覚えていない」と。 次に工務店である。西浦会長知り合いの工務店に話を持ち込み、社長を理事会に招いてすったもんだの末、値切り倒して説得した。これが“大誤算”だったという。 井上先生は「我々の考えはまことに甘く、後々までに大変な迷惑をかけることになった。大会議室には80人も入れば十分と考えて設計したが、会員数が増えるとともに、それが現実にそぐわないことが徐々に分かってきた。これは当時の役員の責任であることは十分理解している」と語っている。
昭和36年、落成式当日の講堂内スナップ
(式典あいさつは、西浦 勇 5代会長)
それでも昭和36年3月12日に完成記念パーティーを開くことができ、「屋根が落ちそうだ」という“不評”をかこちながらも耐用年数の30年はとっくに過ぎ、40年に手が届くところにきている。その間、理事会や総会、講演会、同好会等、その時々の会合、催しが開かれ、それなりにお役に立ってきたことも忘れてはならない。この医師会活動を縁の下で支えてきた歴代事務局員のご苦労も多とするところである。
東大阪市は1967年に布施市、河内市、枚岡市が合併し誕生しました。当布施医師会は旧布施市エリアの医師会です。この地域における医療機関の当医師会への入会率は90%を超えており、都市圏にもかかわらず日本国内でも有数の入会者数と入会率を誇ります。
医師会はまさに「当該地域の医師の会」であり、先般のコロナ災渦においても、厚労省や日本医師会が外来診療のガイド等を発表するよりも早く、各所より集めた情報を吟味整理して会員向けに当医師会オリジナルの「新型コロナウイルス感染拡大期における医療機関の対応法参考資料まとめ 0316版」を会員周知し、河内医師会、枚岡医師会とも協力して、その5日後には会員が安全に地域に貢献できる医療が行えるように「三医師会版医療者が濃厚接触者とならずに診療業務を続けるために 0321版」を作成周知いたしました。このような災禍時のみならず平時においてもご開業後の医療機関との連携(例:在宅患者の他科診療の依頼先探しなど)や、法律改定に伴う行政からの通達の解釈についてのアドバイス、保険診療報酬改訂の際の講習会などでも当医師会がお役に立てる事と思います。
地域医師会は府医師会、日本医師会の出先機関と思われてはいないでしょうか。まさに地域で医療する我々が協力し合って円滑に地域医療を行うためのものだと、我々は考えております。
新規にご開業する際は、是非、ご開業前に当医師会事務局にお声かけください。そして、胸をはって、当地域の医師会員として認められた形でご開業の日を迎えられる事を我々は願っております。
「〇〇年〇〇月頃に開業する予定のものですが」と、ぜひお電話をください。